2014年9月19日金曜日

メモ 王朝関係 雑考

王家の風日より
商王朝では戦闘の際、或いは斥候の際
敵視察と共に敵の神霊を殺す(呪術により)

事前に神霊を殺すことにより味方が敵の呪詛にかかる事無く戦闘でき、敵の加護もなくなるという
このような戦闘習慣の名残なのか日本でも王朝時代に国守が任国へ下るとその国の主要な神社を「神拝(巡拝)」するのが任初の大事な国務とされていた
(出雲と大和 岩波新書 村井康彦著)
ここでいう王朝とは奈良かそれ以前を指しているものと思われる

そして平安末期になると国衙のそばに神々をまとめて祭るようになった。
これが惣社であるというのが通説。
この巡拝こそが神霊殺し→畏怖という風に時代を経て変化したものではないだろうか。
何故なら祀られている神々の殆どは強い怨みを抱いたまま殺されていたからである。この強い怨みを抑える為に祀られているのではないだろうか

2014年9月14日日曜日

2014 読書日記 8

2014.9.13読了

QED〜ventusa〜熊野の残照
高田崇史著

熊野の三社に祀られている神
後白河法皇の行幸
本地垂迹説
を更に掘り下げて検証して欲しかった

特に後白河法皇は33回にも及ぶ参詣をしており、その理由として鉱鉄の利権が絡んでいると推察しているが
行幸=利権の過程が抜けいる為不透明である事と、利権を得ていたにも関わらず政権を武家に取られてしまった理由が描かれていないのが残念だった

2014年9月4日木曜日

大樋焼

1666(寛文6)年から続く石川県金沢市にある楽焼の脇窯(わきがま)

脇窯とは楽焼の分家にあたるもの

但し楽焼と呼べるものは
楽家
脇窯
家元手捏(てづくね)

2014 読書日記7

2014.9.2読了(2回目)
王家の風日
宮城谷昌光

商周武力革命を史実に沿って描いた作品
夏の傑王しかり
殷の紂王(商の受王)しかり
はたして戯作通りの暴虐振りだったのだろうかと疑問だった
というより不満だった
一方的に悪に仕立てられたのではないかと思っていた
その長年の不満を宮城谷氏が払拭してくれた
周側からではなく商側から描いてくれたのだ
感動した

新時代を築こうとした織田信長や、開国をした徳川幕府が滅ぼされたように商の受王も滅ぼされた
新しい時代に突入するのに新しい事を実践すると何故か悪逆非道に仕立て上げられ滅ぼされてしまう
まるで歴史が生贄を要求しているようだ

初回読了は1999年