2014.9.6読了
邪馬台国
出雲神話
を史実から解釈
磐座信仰などの山に実際に訪れている
著者の熱意と愛情が感じられる
著者曰く
磐座信仰(山岳信仰)が本来の姿で、本殿などの社は後の大和政権時代に建てられている。そのため鳥居は立派だが本殿が小さい神社程起源が古い
邪馬台国を出雲系の連合国家とし、卑弥呼死後の邪馬台国の動乱を魏志倭人伝を元に検証し、死後数年或いは数十年を経て大和政権に滅ぼされたという
邪馬台国側の代表を饒速日命
総督を長髄彦としている
出雲神の主格である大国主神の足跡も辿っている
各地にある国司神社は大国主神を祀っている
クニスと読むのだという
明治の廃仏毀釈以前は国主神社
明治後政府に遠慮し「国主」から「国司」に変えたという
出雲系の神社の狛犬は前肢を伏せ、お尻を突き上げているのが大半だという
また、石の柱(石碑のような形)を六社(りくしゃ)と言い、それがあるのも出雲系神社の特徴だという
理由は不明